情報格差なんて起こらない代わりに
情報格差なんて起こらない。その代わり「愛情格差」が起こる。とつぶやいてみる。
情報格差で論点となっていることを簡単に言うと、
「デジタルデバイド(情報格差)が起こって田舎にいる人や社会的弱者の方々はそのうち大変なことになりますよ」ということだ。
これは米国と産業界と政府がやっているデマだ。。
田舎の土建屋と政治家にとって今は道路より光ファイバーの方がオイシイのである。発展途上国とNASDAQのハイテク企業との関係も同様だ。
不安を煽って何かモノを売りつけるというやり方は資本主義における金儲けの常套手段である。
「この戒名をお爺さん付けてもあんまり成仏できないですよ」と言えば、いともたやすく数百万もする高価な戒名が売れるではないか。それと同じことだ。
あと、アンケートで質問している振りをして、不安を煽るという汚いやり方もある。
「郵便局があなたの街からなくなると困ると思いますか?」みたいなね。
Q それにしてもなんで、情報格差は起こらないのか。
A まず、キーボードとマウスが無くなる。脳で何かを念じることでPCを操作できるようになるから、パソコンの操作方法を習得する必要が無くなる。知識、情報を心の中で念じるだけで瞬時に取り出せるようになった社会では誰もがたやすく情報を取り出す事が出来、情報格差は起こらないはずである。
そうすると人間の優劣は、残りの部分、つまり魂に関する部分で決まってしまうのではないか。
つまり、愛情の無い人間はコンピュータと同様かそれ以下の単調労働に従事させられ、愛情と思いやりに溢れた人間は必然的により重要な地位に就くことになるのではないだろうか。
だから愛情があるか無いかでデバイドされるはずである。
すなわち未来では「愛情格差」が起こる。